好きな人に怒られることや、嫌われることや、無視されることとかよりも、その人が悲しくなるのが、一番つらいな、と思いました。
残念ながら時間巻き戻せないので、その悲しくさせた原因を取り除くのは無理なんです。
残念です。
なので、いまここから、悲しくさせた事実を捨てないで、捕まえたうえで、その人に喜んでもらうしかないんです。
なんて綺麗な言葉を吐くのもいやですね。
2015/03/13
テーマ「雪」
雪。
雪のすきなところは、白いところ。思えば、空から白いものが降るってへんなことだよな、とか思いながら、手に乗せたりする。
ぼくは奈良で育って、そこは盆地なので、ほとんど雪は振らないけど、一年に一度くらいは積もる。すると、やっぱり、世界の色が変わるのだ。
実際、白いし、でも白いだけじゃなくて、道が消えるのが好きだ。
いつも歩いている、というか「誰か」によって無意識に歩かされている遊歩道や道路の道が消えて、
どこを歩いてもいいんだぞって言われてるような感覚になる。
とかいってフラフラして、側溝に足を突っ込むのも当たり前なんだけど。
でも、桜でも花火でも一緒なんだけど、終わりを知ってるから楽しいんだろうな。
ずっと雪なのは、勘弁してもらいたいな。
そんな奈良県民の話。
雪のすきなところは、白いところ。思えば、空から白いものが降るってへんなことだよな、とか思いながら、手に乗せたりする。
ぼくは奈良で育って、そこは盆地なので、ほとんど雪は振らないけど、一年に一度くらいは積もる。すると、やっぱり、世界の色が変わるのだ。
実際、白いし、でも白いだけじゃなくて、道が消えるのが好きだ。
いつも歩いている、というか「誰か」によって無意識に歩かされている遊歩道や道路の道が消えて、
どこを歩いてもいいんだぞって言われてるような感覚になる。
とかいってフラフラして、側溝に足を突っ込むのも当たり前なんだけど。
でも、桜でも花火でも一緒なんだけど、終わりを知ってるから楽しいんだろうな。
ずっと雪なのは、勘弁してもらいたいな。
そんな奈良県民の話。
テーマ「猫」
猫。
もー、超かわいい。
かわいいかわいいかわいいだけじゃ、ぐるぐるぐるぐるバターになるので、違うほうから考えてみる。
猫が可愛いっていうのはなんでだろう。
まず、小さいからだと思う。人間との対比の問題。ディズニーランドでみた、3Dのでっかい猫は可愛くなかったし。
あと、マンチカンとかの短い足。かわいい。
のだけど、それも人間との対比。人間は、ちょこちょこ歩く姿にかわいいかわいい言うけれど、当のマンチカンは
「わいの足これやし」くらいにしか思ってないと思うし、思ってなくてもちょこちょこ歩くと思う。
まぁ、そんなことで、人は、というかぼくは、対比でものを見ていたわけですね。
そんなことどうでもいいんですけどね、ねこ、かわいいんで。
もー、超かわいい。
かわいいかわいいかわいいだけじゃ、ぐるぐるぐるぐるバターになるので、違うほうから考えてみる。
猫が可愛いっていうのはなんでだろう。
まず、小さいからだと思う。人間との対比の問題。ディズニーランドでみた、3Dのでっかい猫は可愛くなかったし。
あと、マンチカンとかの短い足。かわいい。
のだけど、それも人間との対比。人間は、ちょこちょこ歩く姿にかわいいかわいい言うけれど、当のマンチカンは
「わいの足これやし」くらいにしか思ってないと思うし、思ってなくてもちょこちょこ歩くと思う。
まぁ、そんなことで、人は、というかぼくは、対比でものを見ていたわけですね。
そんなことどうでもいいんですけどね、ねこ、かわいいんで。
テーマ「生死」
生死。
生きて死ぬことに、最近興味があった。全然自分が死ぬイメージなんてものはないけど、やっぱり死ぬんだろなってことが腑に落ちてきた。
ダンス作品を作るときも、友人の祖父の死がきっかけでできた作品がある。その方は病気で亡くなられたのだけど、死ぬときの想いが気になって、想像してみた。
「1週間後死ぬます」
って、わかってしまったときことを。
もしかしたら、「誰か」だったらよかったかもしれない。んなわけあるかよ馬鹿野郎って思えるから。
でも、わかってしまったら、どうなんだろう。
生きることを諦めたら、人はどうなるんだろう。「死」を受け入れてしまったら。
ぼくは、もしかして、とても幸せになるんじゃないだろうか、と思ってしまう。
明日ご飯が食べられなくても、明日好きな人に嫌われても、一週間後死ぬんだ。
なんだかわからないけど、少しスカッとする。
そして、スカッとした後は、やっぱり気持ちよく生きれそうな気がする。
もちろん、一週間後に死ぬとしてもだ。
そんなこともあって、死ぬことを考えるのは好きだ。なんかあったな、メメント・モリって言葉も。
だから今日も、そんな感じで、にやにやしてます。
生きて死ぬことに、最近興味があった。全然自分が死ぬイメージなんてものはないけど、やっぱり死ぬんだろなってことが腑に落ちてきた。
ダンス作品を作るときも、友人の祖父の死がきっかけでできた作品がある。その方は病気で亡くなられたのだけど、死ぬときの想いが気になって、想像してみた。
「1週間後死ぬます」
って、わかってしまったときことを。
もしかしたら、「誰か」だったらよかったかもしれない。んなわけあるかよ馬鹿野郎って思えるから。
でも、わかってしまったら、どうなんだろう。
生きることを諦めたら、人はどうなるんだろう。「死」を受け入れてしまったら。
ぼくは、もしかして、とても幸せになるんじゃないだろうか、と思ってしまう。
明日ご飯が食べられなくても、明日好きな人に嫌われても、一週間後死ぬんだ。
なんだかわからないけど、少しスカッとする。
そして、スカッとした後は、やっぱり気持ちよく生きれそうな気がする。
もちろん、一週間後に死ぬとしてもだ。
そんなこともあって、死ぬことを考えるのは好きだ。なんかあったな、メメント・モリって言葉も。
だから今日も、そんな感じで、にやにやしてます。
テーマ「一人称」
ぼくには「一人称」が3つある。
・わたし
・ぼく
・俺
の3つだ。さすがにワシとか言わないので、まだ3つで止まっている。
比率で言うと、わたし10%、ぼく80%、俺10%くらいだと思う。
27年生きてきて、ぼく→俺→ぼくとなってきたけど(私はほぼ使わない。面接とかくらい)、この遍歴は少し面白いなって思う。
ぼく→俺に代わったのは、小学校3年生くらいだと思う。そのころから、外の目を気にしだした。
相手にどう思われてるのだろう。あいつは「俺」を使っている。あいつはまだ「ぼく」だ。とかって。
で、好きな人ができたあたりでより顕著になっていった。男らしいと思われたかったような気がする。それはまぁ、高校を卒業するあたりまで続いて、やっぱり男らしさには憧れていた。
ぼくは背も低いし、どちらかというと痩せてるし、まあ「強い男」じゃなかったわけだ。
で、25歳あたりから、また「ぼく」に返ってきた気がする。
それは、男らしさへの憧れが消えたわけでもなく(ムキムキにはやっぱりまだ憧れはあったりする)、なんとなくだ。
なんとなく、そのほうがすんなりしたからだ。
ここまで書いてきたけど、意識的に一人称を使い分けることってそれほど多くなくて、ほとんど無思考ででている。
むしろ、前述した、好きな人ができたあたりが一番意識的に使っていた。
「俺は」「俺だったら」「俺はそんなこと」
いまは、もしかしたら、ある一定の「男らしさ」「たくましさ」をあきらめたのかもしれない。
27年、チビだし、痩せ型だし。
でも、27年たって、ようやく、腑に落ちてきたのかもしれない。
チビでも細くても、まいっか、くらいで、今のぼくはぼくを続けている。
・わたし
・ぼく
・俺
の3つだ。さすがにワシとか言わないので、まだ3つで止まっている。
比率で言うと、わたし10%、ぼく80%、俺10%くらいだと思う。
27年生きてきて、ぼく→俺→ぼくとなってきたけど(私はほぼ使わない。面接とかくらい)、この遍歴は少し面白いなって思う。
ぼく→俺に代わったのは、小学校3年生くらいだと思う。そのころから、外の目を気にしだした。
相手にどう思われてるのだろう。あいつは「俺」を使っている。あいつはまだ「ぼく」だ。とかって。
で、好きな人ができたあたりでより顕著になっていった。男らしいと思われたかったような気がする。それはまぁ、高校を卒業するあたりまで続いて、やっぱり男らしさには憧れていた。
ぼくは背も低いし、どちらかというと痩せてるし、まあ「強い男」じゃなかったわけだ。
で、25歳あたりから、また「ぼく」に返ってきた気がする。
それは、男らしさへの憧れが消えたわけでもなく(ムキムキにはやっぱりまだ憧れはあったりする)、なんとなくだ。
なんとなく、そのほうがすんなりしたからだ。
ここまで書いてきたけど、意識的に一人称を使い分けることってそれほど多くなくて、ほとんど無思考ででている。
むしろ、前述した、好きな人ができたあたりが一番意識的に使っていた。
「俺は」「俺だったら」「俺はそんなこと」
いまは、もしかしたら、ある一定の「男らしさ」「たくましさ」をあきらめたのかもしれない。
27年、チビだし、痩せ型だし。
でも、27年たって、ようやく、腑に落ちてきたのかもしれない。
チビでも細くても、まいっか、くらいで、今のぼくはぼくを続けている。
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