8/22 new!! ゆるゆると誰にいうわけでもなく誰が知るわけでもなく更新していきたい。

2015/03/13

悲しい

好きな人に怒られることや、嫌われることや、無視されることとかよりも、その人が悲しくなるのが、一番つらいな、と思いました。

残念ながら時間巻き戻せないので、その悲しくさせた原因を取り除くのは無理なんです。
残念です。

なので、いまここから、悲しくさせた事実を捨てないで、捕まえたうえで、その人に喜んでもらうしかないんです。

なんて綺麗な言葉を吐くのもいやですね。

テーマ「雪」

雪。

雪のすきなところは、白いところ。思えば、空から白いものが降るってへんなことだよな、とか思いながら、手に乗せたりする。

ぼくは奈良で育って、そこは盆地なので、ほとんど雪は振らないけど、一年に一度くらいは積もる。すると、やっぱり、世界の色が変わるのだ。

実際、白いし、でも白いだけじゃなくて、道が消えるのが好きだ。
いつも歩いている、というか「誰か」によって無意識に歩かされている遊歩道や道路の道が消えて、
どこを歩いてもいいんだぞって言われてるような感覚になる。
とかいってフラフラして、側溝に足を突っ込むのも当たり前なんだけど。

でも、桜でも花火でも一緒なんだけど、終わりを知ってるから楽しいんだろうな。
ずっと雪なのは、勘弁してもらいたいな。

そんな奈良県民の話。

テーマ「猫」

猫。

もー、超かわいい。
かわいいかわいいかわいいだけじゃ、ぐるぐるぐるぐるバターになるので、違うほうから考えてみる。

猫が可愛いっていうのはなんでだろう。
まず、小さいからだと思う。人間との対比の問題。ディズニーランドでみた、3Dのでっかい猫は可愛くなかったし。

あと、マンチカンとかの短い足。かわいい。
のだけど、それも人間との対比。人間は、ちょこちょこ歩く姿にかわいいかわいい言うけれど、当のマンチカンは
「わいの足これやし」くらいにしか思ってないと思うし、思ってなくてもちょこちょこ歩くと思う。

まぁ、そんなことで、人は、というかぼくは、対比でものを見ていたわけですね。
そんなことどうでもいいんですけどね、ねこ、かわいいんで。

テーマ「生死」

生死。

生きて死ぬことに、最近興味があった。全然自分が死ぬイメージなんてものはないけど、やっぱり死ぬんだろなってことが腑に落ちてきた。

ダンス作品を作るときも、友人の祖父の死がきっかけでできた作品がある。その方は病気で亡くなられたのだけど、死ぬときの想いが気になって、想像してみた。

「1週間後死ぬます」

って、わかってしまったときことを。
もしかしたら、「誰か」だったらよかったかもしれない。んなわけあるかよ馬鹿野郎って思えるから。
でも、わかってしまったら、どうなんだろう。

生きることを諦めたら、人はどうなるんだろう。「死」を受け入れてしまったら。
ぼくは、もしかして、とても幸せになるんじゃないだろうか、と思ってしまう。

明日ご飯が食べられなくても、明日好きな人に嫌われても、一週間後死ぬんだ。
なんだかわからないけど、少しスカッとする。

そして、スカッとした後は、やっぱり気持ちよく生きれそうな気がする。
もちろん、一週間後に死ぬとしてもだ。

そんなこともあって、死ぬことを考えるのは好きだ。なんかあったな、メメント・モリって言葉も。
だから今日も、そんな感じで、にやにやしてます。

テーマ「一人称」

ぼくには「一人称」が3つある。

・わたし
・ぼく
・俺

の3つだ。さすがにワシとか言わないので、まだ3つで止まっている。
比率で言うと、わたし10%、ぼく80%、俺10%くらいだと思う。

27年生きてきて、ぼく→俺→ぼくとなってきたけど(私はほぼ使わない。面接とかくらい)、この遍歴は少し面白いなって思う。

ぼく→俺に代わったのは、小学校3年生くらいだと思う。そのころから、外の目を気にしだした。
相手にどう思われてるのだろう。あいつは「俺」を使っている。あいつはまだ「ぼく」だ。とかって。

で、好きな人ができたあたりでより顕著になっていった。男らしいと思われたかったような気がする。それはまぁ、高校を卒業するあたりまで続いて、やっぱり男らしさには憧れていた。

ぼくは背も低いし、どちらかというと痩せてるし、まあ「強い男」じゃなかったわけだ。
で、25歳あたりから、また「ぼく」に返ってきた気がする。

それは、男らしさへの憧れが消えたわけでもなく(ムキムキにはやっぱりまだ憧れはあったりする)、なんとなくだ。

なんとなく、そのほうがすんなりしたからだ。
ここまで書いてきたけど、意識的に一人称を使い分けることってそれほど多くなくて、ほとんど無思考ででている。
むしろ、前述した、好きな人ができたあたりが一番意識的に使っていた。
「俺は」「俺だったら」「俺はそんなこと」

いまは、もしかしたら、ある一定の「男らしさ」「たくましさ」をあきらめたのかもしれない。
27年、チビだし、痩せ型だし。
でも、27年たって、ようやく、腑に落ちてきたのかもしれない。

チビでも細くても、まいっか、くらいで、今のぼくはぼくを続けている。