前回の更新より、ほぼ1年がたちました。
1年前は、淡水と倉田の翠ちゃんで公演をしていたようです。そして、何の因果かそのほぼ1年後は赤子とダンスした夜でした。
昨日はかつおの遊び場ブッキング。1年前は淡水でがっつりダンスしてて、昨日は一人芝居をしておりました。
演劇の人かダンスの人かわからない、みたいな印象をもたれたりしますが、ぼく自身もわかってなかったりします。ただただ、好きなことをやってきただけの感覚です。
そして、演劇とダンスの境もわからなくなってます。演劇でも踊るしダンスでも話すし。結局、どちらも変わらないって思ってしまうから。
あえて、自分の中で分けるとするなら、
演劇は「言葉で表せない、言葉の裏の感情を出したい」
ダンスは「言葉で表せない、感情のゆらぎを身体で出したい」
と、いうわけで、あまり分かれていないのでありました。
2016/07/26
2015/07/30
境界、ライン
ラインというものが好きです。空をパカーンとわる電線とか、舞台上にひかれた一本の線とか。
それは、こっち、とあっち、を作り出します。だから、そこにドラマがうまれます。別れている、からどうしようって。よいしょって乗り越えるのか、それとも諦めるのか、まだまだありますけど。
で、それは舞台だけじゃなくて生活の中で、ふつーにやってるんですね。自分/上司、とか、自分/親、とか。区別でもありますね、ぼく/あなたと。
でも、それって、実は外せるんだなって思っています。
ラインを引くのは、自分で、じゃあラインを外すのも自分です。あの人はこういう人だから、近寄らないでおこうっていう、ライン。あの人は自分のことを好きなので、近づこうっていうライン。
そのラインは本来そこにあったものじゃなくて、自分で置いてることを知ることだけでいいと思いますけど。
その、「いつでも外せる」ということだけ持てば、自由です。というか、本来自由だったものにラインを引いて苦しがってるのが、なんか馬鹿みたいだなって思ってきました。
このラインは外してもいーかな、そう思えることがいいなって思います。
淡水⇔倉田翠の舞台の写真です。大好きな、枠、境界、場所、でした。
2015/07/19
言葉にならないもの。
好きとか、嫌いとか、言葉になりません。大好きとか、大嫌いも、もっと言葉になりません。
それを伝えることに、諦めがあります。言葉で伝えることに諦めがあります。
だから、言葉の奥や身体に惹かれます。言葉を出す瞬間、コンマ1秒の間とか、その言葉を出すときの体勢。
また、伝わらないことを意識して、それでも放つ言葉にも。
ひねくれてるようですね。
2015/07/15
感覚の話
週に一度、更新するといいましたね。すまんあれは嘘じゃ。
といった感じで、最近言葉にならない感覚が多すぎて、文字にできないのですね。書いては、ザザッと消しています。なので、言葉にならない感覚、について書こうかなと思います。また後にでも。
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