8/22 new!! ゆるゆると誰にいうわけでもなく誰が知るわけでもなく更新していきたい。

2015/06/13

何を書いたらいいかさえ

何を書いたら、何を書きたいのか、わからないけど書こうと思います。

舞台上で「人と話す」ということがわかりません。まぁー、よくわかりません。話せている/話せていないの感覚がまぁわからないんですね。

そこを掘ると、普段から人と話せているのか/話せていないのか、ってなってさらに迷宮です。

そんな訳で迷走してます。この道があってるかどうかわからない、のです。

でも、いけます。すごく、助けてもらいました。さらけ出して、もらいました。なので、こっちもさらけ出したいと思いました。だからいけます。

根拠のないポジティブを怒られるときもあります。そう、根拠はありません。積み立てて積み立てて、いける、じゃないんです。いけるが先に立って根拠は後から来ます。そういうことです。

さて、やりますか。

誰だ

TwitterやFacebookで、メッセージに返信をしていると、たまに「あれ?誰だこいつ」ってなる。

忘れてるんじゃなくて、「現実のその人」と「ネット上のその人」が同じ人物に見えなくなる。で、ネットの方は本当に生きてるのかな、って感覚になる。

いまだと、例え死んでいてもネット上で言葉を出してるだけで、生きてるようになれると思う。
そこに少し怖さと、変なワクワク感がある。こんな、ワクワク感とかで、ぼくは舞台に置くダンスとか演劇とか、作ってる。

ふわっとした発想。

なんとなく、「日刊て、いいよなぁ」って思ったので、日刊にしてみようと思います。あ、(ほぼ)日刊、てやつです。

糸井重里さんが好きで、ほぼ日手帳とか使うくらい、ほぼ日すきです。面白いなぁと思います。
まぁだから、でもないですけど、ほぼ日刊、してみます。

科学の世界では、解釈がひとつの到達点みたいですね。ミクロの世界とかの観測できない事柄に対して、〜〜解釈とかを用いることです。コペンハーゲン解釈とか。
で、解釈ってことは〜〜だろうなぁ、くらいのものなんですね。観測できないから。
例えば、「その物体を観測していない時の動きを見よう」としても見れないですしね、観測してないとき、だから。
だから、多分こうだろう。お、それっぽい、てのが解釈だと思います。
で、ぼくはその決めきれないところが、好きです。雰囲気なんですけどね。

箱の中の猫は、生きてるし、死んでる。それは見ないと決められない。そんなのが好きです。だからきっと、その空間におけるその人の感情っていう、わかるけどわからないようなものが好きなんだと思います。

怒ってるのか悲しいのか、表情で、言葉で、わからないと思ってますし、た感情も怒ってて悲しいとか怒ってて嬉しいみたいな混ぜ合わせだと思います。
そういえば、平田オリザさんが「悲しいときに靴下の臭いを嗅ぐ人もいるんじゃないか」って言ってた気がします。

それくらい、他人とは分かり合えないと思ってます。カッコずけで、だからわかりあいたい、があるのですが。

では。

2015/06/12

書きたいとき

書きます。

最強の人とはなんでしょうか? それは、戦わない人です。なぜなら、負ける事がないからです。
戦う人は、必ず負けます。どこかで必ずです。
でも、戦わない人は負けることはありません。戦わないからですね。

勝とうと思えば負ける。武道ではよくいう話です。武道のことでは、勝とうとして始める動きでは、「起こり」があるのですね。
つまり、殴ろうとした瞬間の肩の動き、視線の動き。そういうものが、負けにつながると。
そういうものをなくしたとき、つまり殴ろう、相手を制圧しようと思わない動きができたとき、そのときが負けない動きなのですね。

勝とうとしない。
それは生き方にもなりうるんじゃないなと、思います。

ほぼメモのような日記でした。
では。

2015/06/11

いまだ。

そう、ブログを書こうと思いました。水曜日更新とかいったがありゃ嘘だ。はっはっは。
くらいのノリの個人ブログです。

しかしですなぁ。書いては消し、書いては消ししてます。不思議なもんで、書くとなったら取捨選択してしまうんですね。
まぁそんな訳で、内容がないよう、と記して終えます。次の更新は、ぼくが文字を書くときです。当然のことを意味ありげに語る手法です。

では。